2009年から約10年、
活動中止が続いていた
CHAGE and ASKAだが、
デビュー40周年の8月25日
ASKA(61)が、自身の公式サイトや
ブログで脱退を表明しました。
脱退することについて、
Chageと会話する時間も場もなく、
大変難しい状態だったそうで、
このような形での脱退表明に
なってしまったとのこと。
相棒でありながら、
相手の電話番号やアドレスも
知らないそうで、とても複雑です。
今回の件に対し、
Chageは一夜明け、ファンブログで、
ファンを悲しませてしまった事に責任を感じ、
『とても残念な思い』と
コメントしている。
切磋琢磨頑張ってきた二人に、
一体何が起きていたのだろうか…
今回は、ASKAの脱退理由と、
二人の交わることのない溝は
何だったのか…
について調査してみました。
CHAGEandASKAプロフィール
【Chageプロフィール】
本名:柴田秀之(しばたしゅうじ)
誕生日:1958年1月6日(61歳)
出身地:福岡県北九州市小倉北区
出身大学:第一経済大学中退
ジャンル:J-pop
ポップミジュージック
職場:シンガソングライター、作詞家、
作曲家、写真家
担当楽器:ボーカル、ギター、ウクレレ
事務所:ヤマハ音楽振興会
(1979年〜1990年)
:リアルキャット
(1990年〜2000年)
:ロックダムアーティスツ
(2000年〜)
現在はLa・Fuente(個人事務所)
【ASKAプロフィール】
本名:宮崎重明(みやざきしげあき)
誕生日:1958年2月24日
出身地:福岡県大野城市
出身大学:第一経済大学卒業
ジャンル:ロック、J-pop
職業:シンガーソングライター、
作詞家、作曲家、編曲家
担当楽器:ボーカル、ギター、
ブルースハープ
事務所:ヤマハ音楽振興会
(1979年〜1990年)
:リアルキャット
(1990年〜2000年)
:ロックダムアーティスツ
(2000年〜2014年)
2017年〜Burnish Stone
2人は高校の同級生!
同じ大学で、それぞれ別々のバンドで
活動していました。
そんな時、
第15回ヤマハポピュラーソングの
コンテストが地元の福岡で開催され、
ASKAがChageに声をかけエントリー!
Chageはグランプリを獲得し、
ASKAは最優秀歌唱賞を受賞。
その後、
ヤマハのディレクターから誘いを受け、
『チャゲ&飛鳥』としてスタートし、
1979年に『ひとり咲』でデビュー。
1980年ファーストアルバム風舞と、
シングル万里の河を発売するも、
ロングヒットとなる。
1991年にドラマの主題歌
(101回目のプロポーズ)
になった『SAY YES』が、
13週連続1位(オリコン)。
そこから2年後のアルバム、
『SUPER BEST II』が年間1位となり、
続いてシングル
『YAH YAH YAH』が発売、
オリコン史上初の200万枚以上の
売り上げで、シングル2作目の
ダブルミリオンを記録しました。
『SAY YES』、『YAH YAH YAH』は、
社会現象が起きるくらい、
日本人皆んなが聴いた曲であり、
影響を受けた作品でした。
私も当時、
この2曲は何度も何度も…
リピートしてよく聴きました。
この曲がきっかけで
チャゲアスのファンになり、
特に『YAH YAH YAH』は
沢山の元気をもらった曲でしたね。
さて、ダブルミリオン後も、
リリースする曲は100万枚以上の
ミリオンを記録し、
1996年にアジア人として初の
MTV Unpluggedに出演、
ロンドンで収録が行われました。
それ以降も、
毎年60本以上のライブを開催、
数々のスデージで私達に夢、希望を
与えてくれた二人…
2009年に
デビュー30周年を迎えたとき、
ソロ活動を充実させるため、
無期限休止を発表。
2013年6月ASKAが、
一過性脳虚血栓の疑いがあると
公式サイトで発表。
静養が必要のため、
予定されていたライブは延期となり、
その後の復活ライブも
開催されることはなかった。
それから1年後の2014年
誰もが嘘だと思いたかった…
ASKAが覚◯剤所持の疑いとして
逮捕されました。
2017年には逮捕から初の
オリジナルアルバムを発売、
チャゲアスとしてではなく
ソロアルバムだった。
そして2019年
ASKAがCHAGE and ASKAを脱退。
ASKAが脱退した理由について
8月25日に公式ブログで
ASKA本人より脱退表明があり、
過去のことについても、
コメントしていました。
その内容がこちらです。
(一部抜粋しております。)
2009年2月、
私たち「CHAGE and ASKA」は
「無期限活動停止」を発表しました。
「解散」を決意した私が、
当時のマネージメント会社から、
半ば、説得されるような形になり、
「無期限活動停止」となりました。
「解散」にしても「無期限活動停止」
にしても、そう決断しなくてはならなかった
「理由」と、いうものがあります。
「もっと本音で、心から語り合うことが
できてたら」と思わざるお得ません。
この内容から分かるように、
ASKAは随分前から解散について
考えていたのですね。
それが今回、脱退という形に
なったわけですが、
解散、脱退、活動停止…
個々の意味は大きく違いますが、
ASKAの中で、自身の未来を考えた時、
CHAGE and ASKAかASKAか…と、
ずっと悩んでこられたように思います。
私は社会から痛烈に非難を浴びる事件を
起こしてしまいましたので、
本日の発表が、全て、それに
結びつけられる立場にあります。
それでも構わないと思っています。
私が多くを語ってはならない。
この事件は本当に衝撃的でした…
多くを語ったところで、どうにかなる問題
ではないと、私も思います。
この頃のASKAは、
何かに頼りたいくらい病んでいたのか…
頼ったモノが、あまりにも重すぎました。
プライドが高いASKAですが、
内面は全く逆だったようです。
そして、今後の彼の活動を、
『嘘偽りなく応援する』、
Chageにも『同じような気持ち』を
もって欲しいと願うASKA。
なんだかんだあっても、
40年も仲間だった二人ですが、
最後くらい直接連絡をとることが
出来なかったのか…と思います。
今回、脱退を感じ取った彼から、
彼の弁護士を通じて、
『できれば、ふたりで会いたい』
と、連絡がありました。
そうなんだ。
ずっとそうだった…。
そんな大事な言葉さえ弁護士を通して
伝えてきた…。
終わりよければ全てよしでは
ありませんが、
後悔しないという選択を
選ぶべきだったように私は思います。
ASKAは、
『時間は過ぎてゆく』ではなく、
『時間は消えてゆく』といいます。
色々なことがあったけれど、
『オレは、別にアイツが嫌いなわけ
ではないよ』と。
『手を繋ぎ合った複合体は、
どれだけ長く手を繋いでいられるかが
重要ではない。』
『手を繋いだ時に何ができるか』
『何もできない複合体なら、
複合体の意味がない』
と綴っていたことから、
CHAGE and ASKAでいる意味がない!
悩み、抜いた結果、
脱退を選んだということなのかな
と感じました。
ChageとASKAの最大の溝について
10年以上、不仲の二人ですが、
同級生同士、「最初から不仲」
だったわけではありません。
なぜ、
ここまで溝が深まってしまったのか。
・二人が以前所属していた
ロックダムアーティスツの問題
二人はこの事務所の株を
50%ずつ所有しており、
取締役として年1回の株主総会に出席。
実は、ASKAは2008年頃から、
ずっと解散要求をしていたが、
経営上の問題もあり、
解散を受け入れてもらえなかったそう。
それならばと、
ASKAは会社を2倍3倍にする
アイデアを提案したが、
持ち株半数の人が反対したため、
そのアイデアも通らなかった。
その後、この件に関し、
事務所社長、そして、Chaseサイドも、
『特に答えることはない』と
コメントした。
このことはASKA自身のブログでも
『また憂鬱な株主総会、しかも
不本意な8月25日がやってきます』
と述べていた。
・ギャラの問題
2004年頃から、
ギャラの問題があったそうです。
今まで、ASKAが7、
Chageが3という配分になっていたが、
この年に、Chageが『5:5へ主張』
してきたとのこと。
こちらに関しても、
ASKAが述べているので、
事実だと思います。
にしても、
数々のヒット曲をつくってきたのは
ASKAであり、それをどんな理由にせよ
『5:5』と主張するのは、
誰が聞いてもオカシナ話ですね。
この件で、
二人の間には見えない亀裂が入った。
・ASKAに無断でライブ中止問題
2009年の活動休止を経て、
2013年に復活ライブを開催予定
だったが、このライブが中止に。
その中止にするか、しないかなどの
話し合いも、ASKA以外で行われ、
『僕抜きの話し合いで中止決定
してほしくはなかった』
と話していたとのこと。
この年は、ASKAが体調不良で
静養が必要な時でしたが、
仮に、中止になるにしても、
本人がいないところで決める
ということが理解できません…
・ASKAがChageを殴った問題
デビュー35周年を迎えた頃、
二人はよく衝突していたとのこと。
Chageは繰り返すASKAの異常な言動を
かなり心配していたそうで、
『いいかげん、ヘンなモノはやめろよ』
と言ったのだが、それに対しASKAは、
激怒し、殴りつけたそうです。
これは、辛いですね。
一番身近にいる人間が、
オカシクなっていく姿をみているのは辛い。
最初は、まさか…と思っていたが、その、
まさかが本当だった時のショックは
かなり大きいはず。
目を覚ましてほしくて注意したことが、
逆効果となり、亀裂が深くなった。
・Chageへ謝罪がなかった問題
ASKAが逮捕された時も、
Chageはかなり心配していた。
そんな状況でも、
ASKAの復帰を待ち続けていたが、
Chageの気持ちは届かず、
保釈後、迷惑をかけたのは
誰にでも分かることですが、
Chageへ謝罪の言葉はなかったそうです。
今書いた以外にも、
この40年、色々あったと思います。
その色々な事が積み重なり、
気付いた時は大きな溝となってしまった…
そんなふうに感じます。
まとめ
出会いもあれば、別れもあります。
そして、出会いも別れも、
最初から決まっていることです。
確かに、
終わり方はしっくりきませんが、
きっと、
そういう終わり方を個々が知らずのうちに
選んでいたのだと思います。
ですから、今回のことは、
納得する、しないの問題ではなく、
成る可くしてなった結果だと思います。
最後に、
これからのお二人の活躍を心から
応援しています。
そして、いつかお二人が顔を合わせ、
今回のことを懐かしく会話できる日が
くることを願っています。